ハイラックスサーフの歴史 何だこれ?と誰もが思いました。

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ハイラックスサーフの歴史 何だこれ?と誰もが思いました。

ハイラックスサーフ 何だこれ?と誰もが思いました

私が入社したのは昭和59年でした。ランクル40、ランクルヨンマルだって、スタウトだって現役で販売されており、注文書を書けば新車で買うことができました。入社して数か月はとある所で新車営業の研修をしていたのですが、その時に発表となったのが、足のいいやつ、FFカリーナでした。かつてのFRからフルモデルチェンジとなり、足元がやけに広いなと思いました。「これはいいな、売れるぞ」と、研修を受けていた時の先生がおっしゃっていましたが、全くと言っていいほど、このFF150カリーナは売れませんでした。昭和58年にフルモデルチェンジをした150コロナの方が売れていました。その後デビューしたのがハイラックスサーフです。私が勤務していたところがわかってしまいますが、当時ランクル40だって、ハイラックスピックアップトラックだって、ハイラックスダブルキャブだって売っていましたが、売れていませんでした。RVなんていう言葉もまだなく、車はセダン、ちょっとセダンは嫌だなという方がカリーナサーフやMX40Gなどのステーションワゴン、燃費が気になる方はハイブリッドじゃなくて黒煙もくもくで力はないけど燃料代が安いディーゼル車、レジャーの王道は他社ですが三菱デリカや、マスターエースサーフやタウンエース、ライトエース、お金がある方はハイエースワゴン、という時代でした。そんな時代に、ハイラックスダブルキャブの荷台にシェルターをつけたような、カリーナサーフではない、ハイラックスサーフという名前の車がデビューしました。ハイラックス自体、海外輸出がメインのような立ち位置の車でしたので、国内での人気は、のちにハイラックスダブルキャブが少し人気となりましたが、昭和59年当時は殆どなく、当然この変わり種車も発売当時はそれほど脚光を浴びることはありませんでした。当時の教官も、研修授業の中で「なんだこれ?」なんて言っていたのを思い出します。

全てがトラック4ナンバーでした

エンジンは2000のガソリンと2400ディーゼル、ハイエースなどで活躍していた2Lとがありましたが、どちらも4ナンバー、トラックでした。基本的には元々のハイラックストラックにFRPの屋根を取り付けたものでしたから、何だかんだ言ってもトラックなのでした。それを証拠に、この当時の足回りは四輪ともリーフでしたし、サイドブレーキはステッキでした。ステッキのサイドブレーキを持つ乗用車もかつてはありましたし、何と現行ハイエースバンなどはその構造上ステッキが採用されていますが、こちらでご説明中のハイラックスサーフは当時商用車の域を脱しきることはできず、デビュー当時はトラック感満載だったのです。ガソリンよりもディーゼルが売れていましたが、力がないとか、煙が出るとか、あまり評判はよろしくありませんでした。この時代、4WDといえば私の中ではロデオビッグホーンです。当時黄金時代のプロ野球西武ライオンズ、工藤公康投手は、パジェロに乗っており、すごいなと思ったものでした。今の時代はプロ野球選手にとって、外車やレクサスなどがステータスのようですね。当時は日本一、ナンバーワンと言われた西部の工藤公康投手がパジェロに乗っていたからかはわかりませんが、このパジェロが4WDの市場に火をつけたと私は思っています。その前にも、スペアタイヤをフロントに背負った、4WDの足回りプラス高い腰、だけど屋根が低いという、デリカスターワゴンもいい線行っていました。当時は4WDにATという組み合わせは邪道と言われており、ハイラックスサーフの発売当初はどうだったでしょうか、よく覚えていないのですが、おそらくATの設定はなかったと思います。

乗用車化が進み、3000ディーゼルで人気爆発

一番はじめに4WDを乗用車化したのはロデオビックホーンです。そしてパジェロが追従します。その後ハイラックスサーフも内装を作り上げ、2代目130にフルモデルチェンジして乗用車化され、一気に人気が爆発しました。今となってはSUVという言葉が使われていますが、この当時はまだSUVなどという言葉はあったのかもしれませんが認知されておらず、RVと言われていました。私はしばらくしてこのRVを専門とする拠点のスタッフをしたこともあります。20年位前でしたが、この当時でも拠点の名前にSUVという言葉はありませんでした。私はその拠点で、ハイラックスサーフを沢山売りました。130から180に変わるあたりでしたが、130は3000ccのディーゼルが良く売れ、180になってからはガソリンも売れるようになりました。これから先は会社を辞めてしまったのでわかりません。個人的には、この辺りか、この後に行われる、スティックサイドブレーキの廃止や、トランスファーの消滅、プラドとの部品の共有化、そしてハイラックスサーフ自体がプラドに吸収されてしまったという事実が悲しくて仕方ありません。私のディーラー、中古車、新車営業の歴史を振り返ると、いつもそこにはハイラックスサーフがいました。今は生産されていないハイラックスサーフは、私にとっては非常に思い出深い車です。もし、手に入れる機会がありましたら、大事にしてあげて下さい。第一回、ハイラックスサーフの歴史をおわります。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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